その昔、男子とビアホールに行って楽しく飲んだ翌日、その子から「僕にはへっぽこちゃんの相手はつとまらない。申し訳ない」と言われたことがあります。ビアホールとさし飲みが嬉しくて飲みすぎたことを後悔したという、そんなあまじょっぱいことを思い出したのは、楽しくお酒が飲みたいからです。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 7月 29
こんなことをふと思い出し、「ああ、おデートなんてものをしたいわぁ」などとも思ったりしている今日この頃。ちょっとおかしくなってきているかもしれません。いやはや。
それはさておき、国立大学の授業料についてこんなツィートがありました。
1975年の国立大学の授業料はたった36,000円だった。現在は約540,000円。この35年の間、物価は約2.5倍になっているが、授業料は15倍に。どう考えても異常。そりゃ東大生の親の年収1,000万円云々になるわな。安倍さんこれどうにかした方が宜しいんじゃないですか。
— 古谷経衡 (@aniotahosyu) 2014, 7月 29
これを受けて、
大学院に籍を残しつつ(←を学費を払ってでもしている方が奨学金返済のからみなどで都合がよかったため)非常勤で食いつないでいた頃、授業料分を稼ぐのが大変と言っても、師匠にも非常勤先の先輩筋の方々にも理解してもらえなかったことを思い出す。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 7月 29
よくよく話をしてみたら、授業料の額が全然違っていた(自分が2〜3倍だったはず)。授業料も違う、非常勤などの仕事の得やすさも違う…では、話がかみ合わないわけだよなぁ…と、思ったものです。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 7月 30
なんてことをつぶやきました。
専従非常勤講師時代に、師匠とも先輩筋の先生たち(10くらい上の方々)とも話がかみ合わないな…と思ったものでした。*1よくよく話を聞いてみると、自分の方がゼロが一つ多かったり、桁は一緒でも額が全然違っていたり…。世代によって、全然違う。そして今や50万を超えてしまっています(自主退院直前の頃[2005年過ぎ]の学費より7~8万は高い)。
不惑直前の自分は大学受験に際して「うちにはそんなにお金がないから、県外に出るなら国公立にしてほしい」と言われたものですが、今や国公立の大学へ進学することすら贅沢とみなされる時代になっているのかもしれません。裕福ではないけれど学びたいことがあるという子から機会を奪わないで欲しいと、切に願います。
*1:「高学歴ワーキングプア」や「高学歴貧困女子」に関して、上の世代と当事者で議論が平行線をたどる理由の一つはこれだと思う。世代間で違っているのは学費だけではないけれど。
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